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Papen's Piling

自分が興味を持った事柄に関するまとめ TwitterID:Papen_GaW

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無敵(笑)ではない無敵艦隊

よく、アルマダの海戦の結果で「無敵艦隊は無敵(笑)艦隊」と言われるものですが

色々調べてみるとどうもそれは違うのではないかと思い、ここに書き記すことにしました。

 ・オスマンの裏庭

1588年に起こったアルマダの海戦の前に、17年前に起きたレパントの海戦について考える必要があります。そのために、最初は当時の歴史的背景から見ていきましょう。

 

16世紀、地中海の天下は実質的にオスマン帝国が握っており、その拡大にキリスト教圏(主にカトリック)は危機感を抱いていました。1571年8月にはキプロスをオスマン領とし、衝突は時間の問題でした。

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 これは1683年にオスマン帝国が保有していた領土です。レパントの海戦は1571年ですので勢力を失うどころか、成長を続けていたことが分かります。

つまり、当時の最強国オスマン帝国に対して、弱小国がカトリックの下に同盟を組み対抗したと考える方が自然です。勿論スペインもオスマンに比べると国力は低いと言えます。

 

・レパントの海戦はどのような海戦だったのか?

レパントの海戦 - Wikipedia

wikipediaの記事を見てみると分かると思いますが、レパントの海戦は私たちが想像する海戦とは違ったものだと思えます。

 

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陣形を組んだ艦船が一定の距離をとりながら砲撃戦を展開する…というのが多くの人が抱いている海戦のイメージだと思われますが、それはレパントの、正確には地中海の海戦には当てはまらないと考えるのが無難です。

 

記事の「結果」の所を見てみましょう。

結果は、オスマン帝国の大敗に終わった。海戦に参加したおよそ285隻の内、210隻が拿捕され25隻が沈没、逃走が確認されたのが25隻で残る25隻も逃走したと思われる。

拿捕の数が多い割には、沈没したのは全体の8%に過ぎません。

つまり、砲撃戦はほとんど行われていない、もしくは砲撃の威力が低すぎて船を沈めることができなかったと言えます。また、拿捕の数が多いということはお互い接舷して、近接戦を行う→負けた方の船をそのまま持っていくと想像できます。

アルマダの海戦では、スペインは接舷斬り込み戦法を取り、その戦いを優位にするために短射程の大砲を用意しましたが、それをやった理由はレパントともう1つの海戦での勝利があったからだと思われます。レパントとアルマダの間にスペインが経験した大規模な海戦にポンタ・デルガタの海戦がありましたが、そこでも接舷斬り込み戦法で、28隻の軍艦で60隻の軍艦に勝利していました。この2つの勝利を考えれば、同じ戦法をとるのは不思議ではありません。

 

・何故オスマン帝国は大損害を被ったのか? 

 オスマン帝国は当時の最強国にも関わらず大損害を被りました。しかし、この海戦のやり方では「一方が大勝利、一方が大敗北」になるのが普通と言えます。何故そうなるのか、検証していきましょう。

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これはレパントの海戦を描いた作品です。先程紹介した接舷斬り込み戦法が各地で行われているのが分かります。カッコよくいっていますが、実態としては「兵力がある程度決まった陸戦」と言えます。

一度陸戦が始まると、火器が少ない時代(ありますが、戦局を変えるほどのものではありませんでした)ですので、ひたすら近接戦が繰り広げられます。負傷者、死者の増大など様々な要因で士気が崩れたら負け、崩したら勝ちという至極単純なルールです。

wikipediaには、カトリック側の指揮官バルバリーゴの指揮権が彼の甥にスムーズに移行したが、オスマン側の指揮官マホメッド・シャルークの死亡後の混乱は抑えられなかっったことが書かれています。基本的に戦闘は指揮官が死亡すると、その時点で士気は崩壊し後は一方的な展開となります

指揮官が3名中1名死亡という状況では整然な撤退はできません。しかも周りは海です。結果として、船は大量に拿捕され、兵員のほとんどは捕虜になりました。

 

ちなみに、オスマン帝国はこの海戦以後も地中海の支配を維持しています。3万人が捕虜になったところで別に問題ないという強者の余裕を感じ取れます。しかし、スペインを主体とするカトリック同盟が勝利したのは事実。その事実はしっかりと記憶されることになったのです。

・イングランド海賊団

 ここから本題です。

アルマダ海戦当時のイングランド海軍は「軍」というよりは「海賊団」に近いものでした。

フランシス・ドレークの話は有名ですが、彼のような海賊が副司令官に就ける程です。当時のイングランド海軍は現代のイギリス海軍のような「栄光の海軍」というよりは「そこら辺の寄せ集めの海軍」といった方が適切でしょうし、組織として完成されているとは言い難いです。(だからこそ勝てたとも言えますが)

結果として、戦法は先ほどのレパントの海戦で行われた移乗攻撃ではなくなります。海賊は基本的に大西洋で私掠を行っていますので、彼らの戦法が反映されることになるからです。広い大西洋で海賊達は少ない兵力で輸送船団を襲う必要があります。ハイリスクな移乗攻撃など出来るわけがなく、アウトレンジ攻撃のための長射程の大砲が主役となります。戦意を無くせればそれで良いので(積み荷がゲットできる)、火力は二の次(船が沈没したら今までの苦労は水の泡ですから)。もし相手が接近してくるならばスタコラサッサと逃げるしかありません。

(時々「アルマダの海戦でイングランドが勝ったのは練度の差」と評するものもありますが、私個人としては練度に着目しても意味はないと思っています。当時の貧乏国イングランドに訓練を行うだけのお金なんてある訳ないのですから。予算でしたら明らかにスペインの方が上です。)

 

ちなみにこのようなエピソードもあります。

その日の夜、イングランド艦隊は敵を追尾すべく出港した。ドレークがランタンを灯してイングランド艦隊を導いていたが、正体不明の船影を見た彼が、突然明かりを消して抜け出す事件が起こった。このため、取り残された艦隊は散り散りになり、夜明けまで混乱状態に陥ってしまった。イングランド艦隊が再集結するまでに丸一日を要している[49]。一方、艦隊を抜け出したドレークは漂流していたロサリオ号と遭遇し、ヴァルデス提督を降伏させ、船を拿捕している。ドレークをライバル視するマーティン・フロビッシャー (enは、艦隊全体を危険に陥らせた明らかな軍紀違反行為を非難したが、多くの船乗りたちはドレークを賞賛した[50][51]

 副司令官であるはずのドレークが勝手に明かりを消して、艦隊を混乱させるという軍隊としては「失格行為」を行ったのに、戦果を加味されて判断された結果船乗りはドレークを称賛するという話です。

海賊のドレークには明かりを消すということが軍隊という組織を動かす上でどれだけ問題なのか、分かっていなかったでしょうしそれは船乗りも同じだったと思われます。そういった人が副司令官になり、船乗りが支持するというのも軍隊としては異常です。

だから、イングランド海軍と考えるのは間違いでありイングランド海賊団と見るのが適切だと言えるのです。

・無敵艦隊の実力

移乗攻撃をしかけるスペイン海軍と、それを避けて海賊のような戦い方を見せるイングランド「海軍」、アルマダの海戦はレパントのような対称戦ではなく非対称戦でした。

現代の、アメリカ軍を主体とした多国籍軍対IS、タリバンなどのテロリストという構図と実は一緒だと言えます。そしてこの現代の戦争が物語るようにイングランド「海軍」はスペイン海軍を蹴散らすことはできませんでした。

この海戦で使ったイングランドの大砲は威力が低く2、3隻しか沈没させることができず、艦船は無敵艦隊の脅威から、海戦後も配置し続けることを余儀なくされました。スペイン海軍はブリテン島上陸という目的こそ失敗しましたが対称戦で負けた訳ではないので、イングランドとスペインの力関係は逆転しませんでした。そもそも、艦船を失った主な原因は航行中の嵐や悪天候であり、イングランドの攻撃自体がスペインに打撃を与えた訳ではないのです。

 

事実、スペインの無敵艦隊はこの後4回も編成され、その内の2回はイングランド攻撃を目的としていました(どちらも悪天候や嵐により戦闘前に撤退を強いられましたが)結局、このイギリスとスペインの戦争、英西戦争はスペイン側が有利な条件で終結することになります。一時的に戦術的勝利を収めても、それが続かない限り戦略的な勝利を手にすることはできないという至極真っ当(そしてつまらない)結論に達することになったのです。

・無敵の意味

 当時最強のオスマン帝国に勝利したスペインを含む地中海諸国の艦隊は「無敵」と形容してもおかしくないものでしたが、その無敵は地中海の海戦における無敵でした。アルマダのようなガレオン船やキャラック船といった帆船が主役となる新たな海戦には、その無敵は意味を為しませんでした。レパントにおけるオスマン帝国、ポンタ・デルガタにおけるフランスの正規海軍には対応できても、海賊が大きな影響を持つ「イングランド海軍」には手こずったとも考えることができます。そういった意味では、アルマダの海戦は近世の海軍における非対称戦と定義することもできます。

・最後に

アルマダの海戦以降、イングランドは急成長をした訳ではありません。ですが多くの教科書や一般的に出回る知識では「アルマダの海戦以降、イングランドは発展しスペインは没落した」となっています。この部分の間違いを自分から直すため、ブログに書くことに至りました。